江戸⇔TOKYO2020

来年7月から8月にかけて繰り広げられるオリンピック・パラリンピックを前に、世界中から注目される街「東京」。特に昔ながらの風情を残す下町エリアは外国人の関心も高いそうです。東京の“今”につながる江戸の文化や食に注目が集まっていますよ〜。

花のお江戸は世界屈指の大都市だった!

東京大学の赤門も元をたどれば加賀藩江戸屋敷の門だった。

あの東大赤門が、加賀藩上屋敷の門だったことは有名ですね。都心に林立する高層ビル群や官公庁がある広大な敷地も、時代を遡れば大名屋敷にたどり着きます。江戸城外堀に沿って鉄道や地下鉄が走り、堀割を埋め立てた上には高速道路が…など、現代の東京の姿は江戸の古地図と重なるとか。
徳川家康が江戸入りした1590年当時、辺り一帯は雑木林と湿地だけが広がる海辺の片田舎でした。皇居(江戸城)のすぐ目の前まで海だったというのですから、今からは想像もつきません。そこでまず、船で物資を運搬するための堀を巡らし、高台を崩して海を埋め立てました。そして飲み水の確保!山を切り通して上水路を引くという大開拓時代を経て、後に100万都市となる江戸の礎が築かれます。当時、ヨーロッパ最大のロンドンでも人口70万人だったそうですから、江戸は驚きの大都市でした。
400年以上も前に構想した家康のグランドデザインの上に東京の繁栄がある。花のお江戸そのままに花の東京へ!すごいな、家康。

気楽でいいや!江戸のやもめ暮らし

何しろ江戸は男だらけの町でした。町づくりという一大プロジェクトが終わった後も地方から労働者は集まってくるし、参勤交代の武士たちだってみんな単身赴任。「かかぁ」のいない独身男がうじゃうじゃいたそうです。おまけに庶民が暮らす長屋の台所は狭く、ごはんを炊いて汁を温めるくらいで精一杯。
そこで繁盛したのが棒手振りの商売でした。天秤棒を担いで、あさり、野菜、豆腐などの食材だけでなく漬物や納豆、すぐ食べられるお総菜まで玄関口まで届けてくれる。今でいう宅配スーパーといったところでしょうか。夜更け、小腹がすく頃になるとそばやうどんを売り歩く声が響き、寿しや天ぷらの屋台店が町角に出る。やもめ暮らしでも不自由しない便利な暮らしは、現在の東京にも負けません。

❶気軽に煮売茶屋。メニューの豊富さはファミレス並み
飯と吸い物、煮物を中心としたおかずを売る店を「煮売茶屋」と呼び、お酒も飲めたそう。刺身やなべ焼きなどもありメニューも豊富で、庶民が気軽に集える場所でもありました。
❷屋台は楽し!寿し、天ぷらもルーツは屋台
宵っ張りが多かった江戸っ子の空腹を満たしてくれたのが屋台。うどんやそばを売り歩く声が夜通し響き、据え付け式の屋台も町々にありました。あんかけ茶飯、いなり寿司、水売りやかりん糖etc…今は高級料理の寿し、天ぷら、鰻もルーツは屋台です。
❸こだわりと知ったかぶり全開の食通ブーム
文化爛熟期になると食通自慢の武士が登場、町人にも広がっていきます。ある通人が八百善で茶漬を所望したところ、半日待たされた挙句お勘定が約十万円!茶に合う水を汲みに早飛脚を遣わした代金だとのこと。こんなことをありがたがる人、今もいますよね〜。

食はエンタメ!江戸グルメに注目

来た〜!!江戸の粉もん

東京オリンピックエンブレムに江戸のチェック柄

江戸と東京を行ったり来たり

ナカノフードがテレビで紹介されました